2008年1月31日木曜日

QQ開通

妻の叔父(妻のお父さんの弟)が自分の娘にパソコンを買ってあげたらしい。
総額5000元。吉林の農村なら自動車を買うのと同じぐらいの感覚である。


さっそく「QQしよう!」とQQの番号を電話で知らせてきた。
妻が「QQできるようにして!」と催促してくる。
以前、日本に居た頃はQQを使っていた。
あ、ちなみにQQとはメッセンジャー系のソフトである。
YahooメッセンジャーやMSNメッセンジャー、Skypeなどを想像してもらうといい。


日本語環境でQQを使う時は文字化けという障害がある。
それで日本ではわざわざ中国語環境のパソコンを一台用意していた。
あの当時は一人で4台ものデスクトップパソコンを持っていたからできた技だ。
現在はノートパソコンを3台持っているが、それぞれ設置場所が異なる。
いずれも仕事で使っているため、どれか一台を中国語環境に切り替えて使うとい
うのは出来ない相談だ。
そこで、Virtual PCという仮想コンピュータを作り出すソフトを利用することに
した。
二日間かけて中国語のWindows98環境をセットアップしたのだが・・・、ディス
プレイドライバがうまくセットアップできずにいて、640×480ドットしかも16色
という情けない環境のままである。
これではQQなぞできない。


仕方がないのでMicrosoft Applocaleという言語置き換えプログラムを利用する
ことにした。
これによってメニューとかの文字化けはある程度解消されるのだが、完全ではな
い。どうしても文字化けは残る。
それでも素のままプログラムを動かすよりはましということで、なんとかQQを使
えるようになった。


妻がさっそく始めたのは音声チャットである。
相手の声は実に明瞭。
最近の音声圧縮技術はたいしたものだ。
そのうちに従姉妹がカメラでライブ映像を送ってきた。
従姉妹は妻をもっと若くした感じで、一年前は幼い感じだったが、カメラの前に
はもう一人前の女性がいた。
女の子の成長は本当に早い。


妻がこっちからも映像を送りたいと言い出す。
それにはカメラを買わないと・・・、と言うとあっさり購入の許可が出た。
で、さっそく電子城で買ってきた。
Logitechの130万画素。目玉の形をしたヤツ。80元。
付属のCD-ROMからソフトをインストールして(Logitechなのでもちろん日本語表
示)、QQをスタート。
こちらからも画像を送れるようになった。


妻は長いこと従姉妹と会話していた。
夕方になって妻のお母さんとお父さんが従姉妹の家へやってきた。
親子でテレビ電話が始まる。
映像チャットの良いところは、リアルタイムで相手の表情を確認できることだ。
お母さんお父さんは孫の顔を見られるし、妻はお母さんお父さんが変わりないこ
とを見て安心できる。
電話だと電話代を気にしてあまり長時間話せないが、映像チャットならネットの
定額料金以外に費用はかからない。
安心して長話ができる。
なので妻は30分ぐらいお母さんと話をしていた。


育児で疲れている妻の良い気分転換ができたと思う。
久しぶりに良い買い物をした。

2008年1月29日火曜日

また落ちた

受験生には縁起のよくない話かも知れないが・・・
息子がベッドからまた落ちた。
もちろん普段は赤ちゃん用のベッドに寝かせておいているのだが、最近1時間毎
に起きて夜泣きをする。
2〜3回そういうことを繰り返した後、私たちが寝ているベッドへ息子を移した。
妻が母乳を授げながら眠る。夫婦でしっかり川の字でガードしていたつもりだっ
たのだが、奴はガードの甘い下方から抜け出たらしい。


「ゴトン」という音とそれに続く大きな泣き声。
妻がすぐさま抱き上げてあやすが、なかなか泣きやまない。
痛い思いをしたのだから当然だ。


更に朝方。
私がトイレに行っている隙に今度はタンス側に落ちた。
運良く引き出しが開いていたので、その中に落ちて中の衣服がクッション代わり
になってくれたが、いいかげん学習しろよなぁと言いたくなる。
朝、息子の額には最初の落下の痕が三日月型のアザになっていた。
月光仮面を連想してしまったが、妻に言っても知らないだろうなぁ・・・。

2008年1月28日月曜日

広州駅がすごいことになっています

17万人滞留广州火車站 鉄道部全国調車支援
http://www.henannews.com.cn/newcnsnews/59/2008-01-28/news-59-66904.shtml


17万人が駅で列を作っているとのこと。
南京あたりの豪雪関係で北京方面からの列車が到着してないのだとか。
該当する列車の販売済み切符が17万人分だから17万人が列を作って待ってるとい
うことなんでしょう。
実際にはもうちょっと少ないとは思いますが、それでも写真見た限りではとんで
もない人出です。
広州は重慶と並ぶ中国最大級の工業地域。地方からとんでもない数の出稼ぎ労働
者が集まっている場所なわけで、春節を目前にして鉄道トラブルはシャレになり
ません。


ご存じのように広州は香港の隣ですから気温は5〜7度。もし東北地方のように
零下だったら死人が続出するでしょう。
列車がいつ到着するかわからないので駅で列を作って並んで待つ。トイレは近く
のコンビニを利用。仮設トイレもできたそうです。駅の近くの宿泊施設は満員。
長距離バスも高速道路が封鎖されているので使えない。


団塊の世代以上の方ならご理解いただけると思いますが、中国では農村と都市の
収入の格差というのが大きくて、家族を養うために農村から都市へ皆出稼ぎに来
るわけです。毎日一生懸命働いてお金を貯めて、一年に一度だけ故郷へ帰る。そ
れが春節の時期なんです。故郷の家族へのお土産をたくさん持ってお母さんお父
さん、子供や孫に会うのを楽しみにしている。
中国人にとって春節は家族と一緒に過ごす特別な時間。だから皆なんとしても故
郷へ帰ろうとする。
故郷への強い思いがあればこそ、一晩中でも列車の到着を待つ人々が17万人もい
るのだ、と思わずにはいられません。

2008年1月26日土曜日

今日はお休み

朝9時から中国語の授業。
10:30には授業が終わって、その後校長先生とお話。
来週から学校で日本語を教えることになった。
教科書を受け取ってきたので予習せねば・・・。


自宅で昼食。
久しぶりに家で食べた気がする。
ネットサーフィンでニュースを見る。


眠くなったので三人でお昼寝。
しかし私が最後まで寝ていた。
目が覚めたらもう夕方だった。
疲れがたまってたんだな・・・。


いろいろやらなくちゃいけないことがあるんだけど、明日にしよう。
休める時に休んでおかないと体が保たない。

2008年1月25日金曜日

今週はとっても忙しかった・・・

工場での生産立ち会いである。連日帰宅が深夜だった。
本日無事納品が完了し、まったりとしているところ。


昨日遅くなったのは、急に夜の印刷が決まったからだ。
印刷工場は春節目前で非常に忙しい。
順番待ち状態である。
納期が迫っているので、とにかくいつでもいいから早く印刷してくれ、と工場に
は頼んでおいた。
昨日は本日納品したモノの生産加工作業への立ち会いで、作業が終わったのが5
時過ぎ。
じゃあ開発区へ帰るかな、と思っていたら工場長から今夜印刷するから立ち会う
か?との質問。
もし断ると次はいつ印刷するかわからないから、もちろん「対」と答える。
さらにラッキーなことに明日の納品に間に合わせるために、この後残業で作業が
あるとの話。
印刷が始まるまで残業を作業を見てればいい、と軽く考えていた。


印刷し終わった紙を型抜きする作業。
最初に型の位置調整をして、紙を打ち抜く。
出来上がりを確認。
何度か調整してもらってOKを出した。
この後はただ紙を打ち抜く単調な作業が続く。この作業は放っておいても大丈夫
なので適当なところで食事にでかける。


夕食は麻拉豆腐かけごはん。5元なり。日本なら丼なんだろうが、こちらでは皿
盛りである。
量が多すぎて食べきれなかった。


食事を終えて戻る。まだ作業は続いている。
まだかかりそうなので、守衛所へ行くことにする。


守衛所は門の横にある。
煉瓦造りの古い建物だ。
中はほとんど倉庫のようだが、古びた机と椅子、そして中央にダルマストーブが
置いてある。
ダルマストーブは日本なら豆炭を燃やすのだろうが、ここでは薪を使う。
20畳以上の広さの部屋だが、ダルマストーブが一つあるだけで非常に暖かい。
工場には男女一つずつの寮があり、それぞれダルマストーブがあるのだが、寮生
はよく守衛所へ遊びに来る。


工場は24時間操業。
昼間と夜の2シフト制。
印刷工場の労働はなかなかきつい。
立ったままの作業である。
そして職人の世界独特の上下関係がある。
最初は見習い工から初めて、助手、機長と出世していく。
機長は印刷機運用の責任者である。
助手は印刷機の操作も行うが、主な作業は一定枚数印刷する毎に印刷済みの用紙
を抜き出して、検査台まで持ってくるという役割がある。
見習い工は用紙のセットやPS版(印刷の版)の清掃を担当する。


印刷機が回り始めたら後は機械が自動的に印刷するから楽だね、と思うかも知れ
ないが、実際はそうではない。
紙詰まりや、印刷の汚れや色むらなど様々な問題が発生し、その都度印刷は中断
される。清掃や調整を行なって印刷再開。しばらくするとまた問題発生。この繰
り返しである。


大連の主な印刷工場ではハイデルベルグ製の印刷機を使っており、コンピュータ
制御である。
印刷位置調整や色調整などは楽だが、安定した印刷を行なうはなかなか大変だ。
私が普段やっている立ち会い作業というのは現場でダメ出しをすることだ。
印刷の汚れやかすれ、色の変化など刻々と変化する印刷状態に対して許容範囲を
超えた場合、すぐ印刷を止めてもらい調整してもらう。そうすることで不良品数
を減らす。
工場のスタッフからは煙たがられるが、良品を確保するにはこの方法がベストだ
と思っている。
もちろん出荷前の検品は厳格だ。
ここまでやると中国の一般の工場でも日本の基準に合格するだけの品質を確保で
きる。
もちろん日系企業は自社で日本式の厳格な生産管理をやっているので品質は万全
であるが、我々の場合、中国の一般の工場で高品質な製品を生産できるというの
がウリだ。価格競争力には自信がある。
自社で工場を持たないからリスクも最小限である。


話が脱線した。
とにかく面倒な仕事だがやりがいはある。
勤務時間が一定でないのが玉に瑕だけど。
明日は朝から中国語の授業だ。
その後はゆっくりと休むとしよう。

2008年1月24日木曜日

かなりヤバかった・・・

昨日は夜8時から市内での仕事があった。
6時半頃、開発区を出発。いつものように乗合タクシーを使う。
既に3人の乗客が居て私が最後。
しかし、タクシーは市内と反対方向に向かう。
何か荷物でも積むのだろうか・・・。


出口加工区の辺りまで来て一人下車。一人足りなくなった。
なんだよ、妙な仕切り方する運転手だな・・・。
電話で既に確認してあったのか、次なる乗客を拾いにタクシーは一目散に走る。
徐行しているとカップルが近づいてきた。
彼氏が彼女を見送りに来たのか、と思いきや二人共乗り込んできた。
後部座席に4人乗り状態である!
私は窮屈な体勢で後部座席の真ん中に座るハメになった。
おいおい、勘弁してくれよ。


安盛デパートの前で彼氏が降りた。
やっと市内へ向けて出発である。


大連湾を過ぎたあたりで急激な便意に襲われた。
昼間、ひどい下痢で3度ほどトイレに行っていた。
バスや電車では長い時間がかかると思いタクシーにしたのだが裏目に出た。
まさか開発区内でこれほど時間をロスするとは思わなかったのだ。
さらに後部座席中央での無理な体勢である。腸に重く負担がのしかかる。


トンネルを通り過ぎる頃には真っ白に燃え尽きそうになっていた・・・。
もはや人間としてのメンツの闘いである。


香炉磯に着く頃にはいったん落ち着いていた。
一瞬、香炉磯駅の近くで降ろしてもらおうかという考えがよぎったが、香炉磯周
辺は渋滞する。
車が身動きできなくなるのはなんとしても避けなければならない。
なんとか耐えられそうなので香炉磯はスルーした。


しかし、腸内の繊毛運動は非情である。香炉磯をちょっと過ぎたあたりから「セ
カンド・インパクト」がやってきた・・・。
もはや形容しがたい苦しみ。頭の中は肛門の筋肉を制御することだけでいっぱい
になっている。
追い打ちを掛けるように車は港湾広場方面へ向かう。私の目的地である友好広場
は後回しだ。
二七広場で降りる乗客がいるのだ。
こうなったら手近なホテルで降ろしてもらおう。フラマでいいや。でもフラマの
1F、どこにトイレあったっけ?


二七広場に着いた。
目の前に大衆食堂を発見。運転手に「降りる」と告げる。15元渡して車を降りた。
冷静にかつ迅速に食堂に入る。
食堂内を一瞥し、トイレの場所を確認。先客アリの可能性も考え、必要以上の期
待をせずにトイレへと歩く。
二つある個室の内一つは故障中。残りの一つは空室だった。
この時ばかりは神に大いなる感謝を捧げた。


用を足した後、店内へ戻る。
もう夕食の時間である。何か食べていこう。
料理を見る。いわゆるバイキング形式。
正直、あまり食べたいと思う料理が見あたらない。
それほど空腹でもないし・・・、なにより極度の緊張状態から解放されて足腰が
ふらついている。
申し訳ないなと思いつつ、店を出た。


今度は普通のタクシーに乗って目的地の友好広場へと向かう。
結果的に8元の浪費だがメンツを失うよりはマシである。

2008年1月22日火曜日

去年はこんなに寒かったかなぁ・・・

昨日、暖气が壊れた。
正確にはマンションの下の暖气の管が壊れた。
で、温水の供給が止まった。
マンションは気密性が高いのか、昼間はそれほど寒くなかったが、夜はさすがに
冷え込んできた。
で、久しぶりにパジャマを着て寝た。
さすがに開発区一等地のマンションである、深夜のうちに管の修理は終わり、朝
方には温水が流れていた。


最近、寒さを痛切に感じる。
吉林仕様の特別の下着とダウンジャケットを着ているので体は大丈夫なのだが、
手や足のいわゆる先端が寒いのだ。
靴は吉林で買ったブーツ。ただしもう一年使っている。若干底のほうがすり減っ
た感じ。
手袋は毛糸のやつ。
あまりにも寒いので妻に「新しいのを買って」と頼んだ。


駅まで歩く、ほんの数分の距離でも寒い。
車に乗っていても寒い。
もちろん、現場(印刷工場)でも寒い。
これでは仕事にならない。
早急になんとかしないと・・・。

2008年1月20日日曜日

外こもり?

最近増えているらしいです・・・「外こもり」って一体何だ?
http://r25.jp/magazine/ranking_review/10004000/1112008011708.html?vos=nr25in0000001


「短期バイトなどで稼いだお金を元手に、一年の大半を物価の安い外国で暮らす
人々」のことを指すらしい。
特に多いのはタイのバンコクだそうで・・・。
どういう人たちが「外こもり」になるのかというと「日本の社会に生きづらさを
感じた人たちです。労働環境に適応できなかったり、人間関係に疲れたり、イヤ
になって日本を飛び出します。」とのこと。
なるほど。「日本の社会に生きづらさを感じた」という点は共感できるな。
私も初めて中国来て、その魅力に取り憑かれて、日本へ帰ってから毎日が苦痛に
なったもんなぁ。


でも中国じゃ「外こもり」できるほど物価安くないので、大連来てからちゃんと
働いています。
こっち来てから結構辛い体験してるんだけど、不思議と日本へ帰りたいとは思わ
なかった。
それだけ大連が好きってことなんだろうねぇ。

2008年1月19日土曜日

妻と息子が戻ってきた

息子がホームシックになり、毎日泣いてばかりいたようだ。
原因は前に書いた通り、親戚の人たちが入れ替わり立ち替わり来て、大きい声で
会話する。
息子は大きな音が苦手である。
声が大きい人にダッコされても、嬉しくないので泣いて抗議する。


もう一つは吉林の実家が寒すぎること。
もちろんオンドルがあるので床は暖かいが、部屋の温度はそれほどでもない。
だから大連のおうちのように薄着でベッドの上を匍匐前進することはできない。
吉林の実家では一度として自分からうつぶせになったことはなかったそうだ。


お腹もこわしてしまい、このままじゃマズイと妻が大連へ戻ることを決定。
結局8日間の滞在で大連へ戻ってきた。


大連のおうちに戻るなり息子はニコニコ顔である。
何度も何度も部屋を見回して、見慣れた場所であることを確認していた。


まぁ、子供というのは正直だ。
もう少し大きくなってからでないと、実家での滞在は難しいかも知れない。

開発区の電子城つづき

マイカル隣にあった電子城だが、開発区駅へ引っ越ししたのは先日ブログで紹介
した通り。
で、旧電子城はなにやら内装工事をしていたが、昨日、大商電気店がオープンし
ていた。
なるほど、そういうことか。


大家としては大商(大連商城)グループとの契約が決まったから店子(たなこ)だっ
た電子城のテナントを追い出しにかかったのだろう。
それで強制的に停電させて店子の営業をできなくしたのではないだろうか?
仁義もへったくれもあったものではない。


ちなみに、大商グループというのは、まぁ簡単に言えば大連におけるイオン・グ
ループ(ジャスコ)みたいなもの。瓦房店とか庄河にも出店している。


大型家電店ということで、なかなか目の付け所は良いと思う。
マイカルや国美は高すぎる。その点、大商ならまぁ、普通の価格だ。
「国美でモノを見て、大商電気で買う」というのがこれからの開発区での家電お
買い物スタイルになるかも知れない。

2008年1月14日月曜日

開発区の電子城が移転

携帯電話の通話料が最近増えてきたので(毎月200元ぐらい)、以前使っていた小
霊通を復活させることにした。
さっそく電子城へ向かう。
ところが入口のところに張り紙。もう営業していないとのこと。
確かに入口から中を見るとテナントがすべて無くなっている。
うーむ、皆何処へ行ったんだろう。


仕方ないので金馬路に面した中国網通に行く。
カウンターの女の子に前に使っていた小霊通を見せて、また使いたいんだけ
ど・・・と告げる。


女性:最後に使ったのはいつですか?
私:1年以上前かなぁ・・・
女性:じゃあ、もう電話番号無くなっていると思いますよ。
私:この間、妻が確認した時には「閉机」になってるって言ってたよ。だからま
だ番号生きてるんじゃないかな。
女性:そうですか。じゃ、調べてみますので電話番号を教えてください。
私:えっ?あ・・・・、私、この小霊通の番号知らない・・・。ちょっと待って、
妻に確認してみるから。


妻の実家に電話をかける。
妻は予防注射のため息子を病院に連れて行っていて留守だった。
なんと間の悪い・・・


私:ごめん。電話番号わからないや。
女性:電話番号がないと調べられないです。


仕方ない、新しい電話番号に切り替えるか。
手数料いくらだろ?
そんなことを考えながら、なんとなくショーウインドウを眺めているといろいろ
な小霊通があることに気づいた。
値段もお手頃。
前の小霊通は2年以上使い続けていて、たまにボタン押しても反応しないという
問題がある。
いっそのこと新しいのを買うか。


で、買っちゃいました、新しい小霊通。
ストレート端末は懲りたので本当は折りたたみにしたかったのだけど、ディスプ
レイが小さかったのでスライド式の大型液晶のタイプにしました。
http://baike.baidu.com/view/1233499.htm


感想ですが、正直むちゃくちゃ使いやすい。
電話をかける・受ける・メールする。これだけの機能ですがストレス無く使える。
これは当たり。


肝心の電子城ですが、移転先は開発区駅の一階でした。
1月1日に引っ越したそうです。
突然の引越の原因は停電。
なんと2週間も停電したままだったそうで、電子城で電気なければ、そりゃ商売
あがったりだったでしょうねぇ。

新201路を利用してみた

香炉磯での仕事を終えて次は民主広場へ移動することに。
707路のバスの終着が民主広場なので、そのまま乗っていれば良かったのだろう
が五一広場で降りた。
新201路の路面電車に乗るためである。


707路のバス停は五一広場のマクドナルドの前にあって、新201路の停留所は五一
広場の交差点を渡った向こうにある。
やってきたのは赤い3000型車両。ダボス会議の前に203路の車両はお色直しされ
てカラーバリエーションが増えた。
<参考>
http://dencs.at.infoseek.co.jp/tairen/news.htm
車両に乗り込むと、ん?内装が新しい。
壁は木目調の樹脂板。以前の車両のような本物の木ではない。
座席は気持ち程度のクッションが貼り付けてある。
走り出すと釣り掛けモーター独特の音がする。どうやら見て目を新しくしただけ
のようだ。


五一広場から大連駅前までの区間は裏通りをぬってのんびり走る感じで趣がある。
旧201路が現役だった頃、私は乗ったことがなかったので余計新鮮に感じる。


予想通り、駅前大通りは大混雑。
運転手のおばちゃんは強引に少しずつ電車を前に進める。それでもバスやタク
シーがどんどん割り込んでくる。
大連駅前の停留所は降車場と乗車場と別れている。
それを知らないおじさんが降車場で乗車用ドアを開けろとどなっている。電車が
そのまま動き出すと、今度はドアを蹴ってきた。停留所には「下車」と「上車」
と大きく看板が出ているのだが気づいてないんだろうなぁ・・・。


再び電車が走り出す。
旧203路の大連駅(海源電子城前)停留所は完全に撤去されていた。
以前住んでいた三八広場から電子城へ買い物へ行くときは便利だったのだが、今
度は停留所から遠くなった。
と言っても開発区へ引っ越した今となっては関係ないが。


民主広場へ到着。
降りるとき、もう一度カードリーダにICカードをかざす。
五一広場から民主広場まで大連駅をまたぐので1.3元。
もし現金払いなら2元。


今度は旧201路で使われていた2000型車両に乗ってみたい。
新型車両の「大連人」は202路と同じだろうから別にどうでもいいや。

2008年1月13日日曜日

妻と息子は帰省中

息子は相変わらず吉林のお家に慣れないみたいだ。
夜泣きで妻が寝られないらしい。
妻が大連に帰ると言い出した。
まぁ、このまま夜泣きが続くようなら心配だし、帰ってきたらと言ったら、さっ
そく切符を買ってくると言った。


それが昨日の話。
が、今日になって状況が少し変わってきたようである。
お父さんお母さんは大連へ戻ることに難色を示しているようだが(まぁ、そうだ
ろう。どうせまた春節に来ることになるのに、いちいち大連へ戻るのは面倒以外
の何者でもない)、妻と息子がお義兄さん夫婦の部屋へ移ってから、お義兄さん
の奥さんと子供が奥さんの実家から戻ってきた。
従姉妹との対面である。


従姉妹は去年の3月頃生まれた。4ヶ月先輩である。
なるほど、自分と同じような赤ん坊と対面して少し仲間意識というか安心でもし
たのだろう、と思いきやそうではないらしい。
妻の話によるとお義兄さんの妻(お義姉さん)になついているそうである。
むむむ。お義父さん、お義母さんを初めとするあらゆる親戚がダッコしても嫌が
っていた息子が唯一、お義姉さんになつくとは・・・。


ちなみにお義姉さんは若くて美人である。
さすがは我が息子。違いがわかる0.5歳である。
甘える相手をちゃんとわかっている。(将来はクレヨンしんちゃんのようになる
のだろうか・・・)


というわけで、ここ一週間ぐらいはしばらく様子をみるそうだ。
一ヶ月も離れてたら、お父さんのこと忘れてしまうかも知れないなぁ・・・。

2008年1月12日土曜日

なんかビュービューいってるし・・・

寒い。
半端じゃなく寒い。
日中の最高気温が−7度である。
外を歩くときは手袋をしていないとヤバイ。
1ブロック歩くだけでも相当しんどい。
駅やバス停まで歩くのもおっくうだ。


雑誌の仕事の関係でここ三日間は市内と開発区を何度も往復した。
使うのはもっぱら乗合タクシーである。
ここ数日の降雪と寒さ&春節前のためにタクシー代が上がっている。
シェアで乗る場合一人20元。5元アップだ。
包車の場合、通常なら交渉で50元にしてもらうことも可能だったが、現在は最低
60元である。


昨夜は、というか今朝は夜中の3時半に市内での仕事が終わって、包車で帰宅し
たは4時だった。
9時からは中国語教室。昼から市内での仕事があったので授業を午後にずらすこ
とはできなかった。
まぁ、工場二つを回り終わった午後3時で仕事は終わり。家へ帰ったらひたすら
寝た。
もう一つ面倒な調べ物の仕事があるが、明日の日曜日にやるとしよう。


窓をきっちりと閉めているのだが、風がビュービューいってやかましい。
外は−10度以下のはずである。
床暖房が入ってるのだが、効きがよくない。外が寒すぎるのだ。
それでもパジャマの格好で部屋の中をうろうろできるのだから室温は20度ぐらい
あるだろう。


寒いので外へ行くのも面倒だ。でも腹は減る。
というわけで今夜はすぐ近くの王将へ晩ご飯を食べに行く。

2008年1月10日木曜日

ただ今帰省中

妻と息子は吉林へ帰省中である。
いつもは賑やかな家庭から一変して物静かなってしまった。


夕方、仕事先で妻から電話。
親戚のおじさん・おばさんが立て続けにウチの息子を見にやってくる。
なにしろ親戚一同、同じ村に住んでいるのだ。娯楽の少ない農村では自分らの家
族の事、しかも半分外国人の子供、とくれば見に行かないわけがない。
私は昨年、結婚手続きの関係で妻の実家に行った際、同じ親戚の挨拶攻撃を受け
ている。
今回、子供が生まれてから二回目の見学のはずだが、親戚の皆さんは口を揃えて
「お父さんに本当そっくし」と息子のことを言う。まぁ、親子だから似てると言
われて悪い気はしないのだが、男の子は普通お母さんに似るものだろうに。


私自身、よく似てるなぁと思うことがある。
例えば、排便の時、右斜め前に体を倒すクセ。
まったく一緒である。
お腹が弱い。すぐ下痢をする。
まったく一緒である。


音に対して敏感。
これも一緒であるが、今回の里帰りで、この問題がクローズアップされた。
中国人は一般的に会話時、声が大きい。
まるでケンカをしているかのように話す。
息子を見学しに来る親戚の人たちが皆声が大きいので、息子は泣き出してしまっ
た。
私も小さい頃そうだった。
父の兄(叔父)が声が大きい人で、私は大の苦手だった。
いつもビクビクしていたことを覚えている。


息子が音に対して敏感であることがわかった以上、3歳からピアノを習わせよう
と思っている。
将来は音楽家?というわけではないが、音楽をやるには小さい頃から訓練が必要
だ。私は20歳を過ぎてからミュージシャンを一時期目指したことがある。が、自
分の演奏技術の限界を感じて挫折。結局コンピュータを利用するDTMの道を選ん
だ。
話すと同じように自由にキーボードで文字が打てる(まぁ、それに近い)ところ
まではできるようになった。
でも、頭の中で鳴り響いているメロディやアンサンブルをすぐその場で演奏して
みせる、ということはとうとう無理だった。息子にはぜひ思いついた音楽をすぐ
演奏できるくらいの表現力は身につけさせたい。本人は嫌がるかも知れないが、
将来、彼が音楽を作りたいと思ったとき、私と同じ挫折感を味合わせたくないの
だ。
音楽以外にもレコーディング技術は教えたいと思う。
冗談ではなく「秘伝の技術」みたいなものがあって、これは息子だけに教えたい
と思っている。
それには耳が良いことが絶対の条件だ。あとは感性。


妻から親戚の皆さんには息子の前であまり大きな声で話さないようにお願いして
もらった。
今夜から隣の義兄の部屋で寝泊まりするそうだ。いわゆる隔離というやつである
(笑)。
まぁ、徐々に慣れていくだろうが、大きい音はできるだけ避けたい。
って、春節の花火はどうすんだろ・・・

同性の立場で見てどうよ?

今月は社長が忙しいので雑誌の記事以外に広告制作も手伝っている。
私の仕事は写真の撮影と広告の編集指示出しだ。
日式カラオケの広告も作っている。
クライアント(広告主)の要望はセクシーな感じ・・・。


中国の写真素材集の中からセクシー美女を捜す。中国語で「セクシーな美女」は
「性感美女」と言うそうな。
山のようにある写真の中から2〜3枚選び出す。
それを元に編集する女の子のデザイナー。
(男の人ってホント、スケベだよねぇ・・・)と思っているに違いない。
同性の立場から見て、露出の多い女性の写真を加工するのって、いったいどんな
気持ちなんだろうねぇ・・・?


なんてことを思っていたらホストクラブの写真撮影という仕事がやってきた。
因果応報というやつである。
紫のシャツに黒っぽいスーツでバッチリと決めた「いかにもホスト」というのが
店長さん。
髪の毛をオッ立てたパンク風の男の子もいれば、角刈り風の真面目そうな青年も
いる。
日本のホストは見てくれよりも会話術という印象を私は持っているが、大連の彼
らはどうなのだろう?


モデルのように格好良く撮ってあげようと努力しているが、やはり野郎の撮影は
面白くもなんともない。
いろいろ注文もうるさいし。撮った後の確認「見せて見せて」がうざったい。
妙なポーズもやめれ・・・。
女性の方たちはホストの男の子と一緒にお酒飲んで楽しいんスかねぇ?
ちなみに大連のホストクラブの主なお客様は日式カラオケのママさんやチーママ
さんである。
くどくてしつこい日本人オヤジを相手にするには相当ストレスが溜まるのだろう。
で、ホストクラブで男の子にグチったり、ちょっとからかったりしてストレス発
散したりすんのかな?
まぁ、よくわかんないけどさ。


こっちも一応プロなんで、それなりに良い感じの写真が撮れた。
写真館のような「あんた誰?」みたいなやりすぎPhotoshop修正はしないので、
まぁ普通っちゃぁ普通。
あとはデザイナーにお任せ。


結論。
撮影は、やっぱ女の子のほうが楽しい。(やっぱ、そうだろう)

2008年1月9日水曜日

不慣れな店員だったのだろうが・・・

仕事が終わるのが遅くなり家の近所の日本料理店で遅めの晩飯。
時間は夜の9時半を過ぎたところ。
カツ丼(30元)と青島ビール(8元)を注文。
メニューを指さして「カツ丼。還有[ロ卑]酒」と言う。


日本語のフリーペーパーを読みながらビールを飲む。
仕事の後は特にウマイ。
しばらくして料理が出てくる。味噌汁とシャケ丼。
ん?シャケ丼?
そんなもの頼んでないぞ。
店内には他に客はいない。
店員の女の子に「這个不是カツ丼」と伝える。
「すみません」とシャケ丼を引き上げ、カツ丼ができるまで再び待つ。


10分後、カツ丼が出てきた。
なかなかボリュームがある。おっ、なかなか、いやかなりウマイ。
完食した後、お勘定。
「58元です。」
ん?なんで?
38元の間違いでしょ?
豚肉が普通の中国製ではない特別のものだから50元のカツ丼なのだそうだ。
調理を開始したとき、普通の中国の豚肉じゃないので美味しいですよ、みたいな
ことを中国語で言ってたような気がする。
たしかに軟らかくてウマイ肉だった。
しかし価格が50元とは聞いてないし(多少中国語聞き取りにくいとは言え、もし
言っていれば価格ぐらいは聞き取れる)、メニューのどこにも50元のカツ丼のこ
とは書いてないぞ。


彼女は少なくとも二つのミスをした。
(1)最初の注文の時に「ご注文を繰り返します。○○ですね?」と注文を確認し
なかった
(2)メニューでは30元と表記されているカツ丼しかないのに、50元の特別なカツ
丼があることの説明をしていない。


いつもの日本語の上手な女の子が不在で、一人だけいた女の子は日本語があまり
得意ではない様子。
中国語の話せるお客さん→(1)注文確認わすれた、という感じだろう。
(2)に関しても、たぶんわすれたのだろう。普通の日本人のお客さんなら20元ぐ
らい高くたってガタガタ言わないだろうし。


二つのミスが重なったことで普通ならキレて怒りつけるケースである。
怒って38元しか払わないようにすることもできただろう。だがそれが何になる?
怒ることはこちらの気分も悪くなるし、店員の女の子も泣き出すかも知れない。
夜10時近くで、接客の女の子と料理担当の男の子の二人しか居ない。
呼びつけて文句を言うべき店長や料理長は不在なのだ。
また私は日本語雑誌の配本でそのお店に何度も訪れている。
狭い開発区でいらずらに目立つ行為をするのは得策ではない。
いずれにせよ、スタッフの教育がなってない時点でそのお店の先が見えた気がす
る。


結局、「わかりました」と言い58元を払って店を出た。
日本でカツ丼を食べたとの変わりない。ビール分はこっちの方が圧倒的に安いけ
ど。
昼間も飲み食いで30元使ったんだよな・・・。タクシー代も降雪で20元かかった
し・・・(普通は15元)。
今日一日で100元以上使っている。こりゃ妻に怒られるわ・・・。

2008年1月7日月曜日

中国でネットサーフィンをする際、気をつけるべきこと

グレート・ファイアー・ウォールという言葉をご存じだろうか?
前にも書いたことがあるが、中国の検閲サーバーの名称である。
中国政府のとある機関(名称は知らない)が「好ましくない」と判断したサイトへ
の接続を制限する機能を持つ。
中国国内のサイトはもとより、国外サイトでも監視の対象になっているため大連
からネットにアクセスした際、観ることが出来ないホームページがいくつか(と
いうか、たくさん)ある。
ま、大抵は公序良俗上問題あるとかであるが、政治的、宗教的に中国政府と対立
するような内容を掲載しているサイトも監視の対象になっている。


最近体験したことだが、グレート・ファイアー・ウォールだけでなく検索サイト
でも検閲が行われているらしい。
Googleで調べ物をしていた際、30年近く前、北京で学生が起こした事件の名称を
たまたま入力して検索させてみた。日本のGoogleサイトだから日本語サイトの検
索結果が表示されるのだが、検索上位のサイトはクリックしてもアクセスできな
い。
検索結果をいくつもクリックしているうちに、今度はGoogle自体にアクセスでき
なくなってしまった。
これには本当に驚いた。というか弱ってしまった。
検索できなければ仕事にならない。


結局、Yahooか何かで検索をして事なきを得たが、教訓としては「政治的にヤバ
そうなキーワードはググってはならない」ということだ。おもしろ半分で検索か
けたらGoogle使えなくなったのではシャレにならない。


しばらくしてGoogleへのアクセスは復活したが、本当に肝を冷やした。


中国在住でこのブログを観ている人に改めて警告しておくが、おもしろ半分でい
ろいろNGワード(と思われるモノ)を立て続けに検索することは止めておいたほ
うがいい。
会社や留学先の学校はIPアドレスからすぐに特定されるので、スパイ容疑や政治
犯容疑で公安警察のお世話になりかねない。
ADSLも大連で契約できるプロバイダは3社ぐらいしかない。すべてアクセス記録
を取っていると考えるのが普通。その時間、NGワードを検索していたIPを使って
いた利用者のIDなぞ簡単に調べられる。
ネットカフェだってルータPCに監視プログラムが仕込まれていないとも限らない。


私の場合、メールも暗号化していない。
検閲されることを前提で書いている。
NGワードと想像されるモノは書かないし、仕事上のメールには機密文書なぞない。
下手に暗号化するとかえって注目される。
暗号なんて、所詮人間が考え出したものだから、人間によって破られる。


中国はまだいい。「検閲してますよ」ということがはっきりわかるから。
日本はどうか?
実はやってるんだけど公になっていないだけかも知れない。
メールなんてのは実は簡単に監視できる。
ハッカー用のツールで会社内でやりとりされるメールを監視できるそうだ。
不倫メールなぞ一発でばれるらしい。
携帯電話は無線だから、もっと監視は簡単。
スパイ映画やドラマの世界の話はあながちウソでもないのだ。


大連の主立ったホテルには盗聴器が仕掛けられていると思ったほうがいい。
大連で何かヤバイ取引をしようとする人は入国の時点から公安にマークされる。
ホテルに宿泊する時も、どの部屋に案内するかはホテルの職員の裁量で決まる。
マークされている人物なら当然、盗聴器がある部屋に案内されるわけだ。


中国要人とビジネスの話をする場合も要注意だ。
相手が特に指定した場所で話をするのならOKだろうが(要人であれば盗聴器の無
い施設を把握している)、基本的に盗聴器が仕掛けられているという前提で、大
事な話はクリーニングされた(盗聴器が無いことを確認した)車の中でするなどの
注意が必要である。
中国では当然リベートが必要となるので、ライバル企業や政敵が盗聴して公安へ
通報、なんていうことも有りうる。
用心に越したことはない。


まぁ、そんなデカイ仕事やヤバイ仕事はしてない方がほとんどだろうから無用な
心配だろうけど。

2008年1月6日日曜日

しばらく一人になる

明後日8日に妻と息子が里帰りする。
息子の予防注射のためである。
本当なら春節期間に一緒に里帰りしたかったが、まぁ、仕方がない。


当然、そのまま春節までお里にいるわけだが、約一ヶ月間、私は大連でひとりぼ
っちになる。
前回は出産の時、二ヶ月間ひとりぼっちになった。


久しぶりの独身生活というのは好きなことが出来て良いのだが、それも最初の一
週間ぐらい。
仕事を終えて、ひと気のない家に帰ってくるのは寂しいし、夜一人で寝るのも同
様だ。
結局、必要以上に仕事をがんばるか、下班した後にどこかで一杯やるか、になる。
「家に帰りたくない病」の始まりである。


ただし、今回はかなりの時間、自宅で過ごすことになりそうだ。
観てないDVDが大量にあるため。
それと頼んでいたDVDが電子城に入荷しているハズ。
一枚4時間として、毎晩一枚観ても一ヶ月では消化しきれない。
休みの日は一日中観ていることになりそうだ。

夕方の出来事。

息子がボーロを食べている。
小麦粉を練って小さく丸めて焼いたお菓子。
もちろん市販のモノ。


昔、おばあちゃんがボーロをよくくれたなぁ、と小さい頃の事を思い出した。
「子供の頃、それ大好きでよく食べてたんだよ」と妻に話すと
「私は子供の頃、コレ食べたことない。高かったから。」


妻は農村生まれの次女であるから、お菓子を買うなんて贅沢は許されなかったの
かも知れない。
ボーロが食べられないからといって不幸だったかと思えば、そうではない。
私が中国で生活する前に食べたことがないものを、彼女は食べていたのである。

文化の違い、環境の違いと言ってしまえばそれまでだが、中国にはまだまだ我々
日本人が知らないような料理や食べ物がたくさんある。
これから春節を迎えるが、春節には彼女の実家へ行く。たぶんいろいろなお正月
料理が食べられると思う。
今から楽しみである。

なかなか学習してくれない・・・

6ヶ月になる息子。
たぶん10Kgぐらいあるだろう。ダッコをするのもしんどい。
だから泣き出さない限り、普段はベッドの上に放置プレイなのだが、最近匍匐前
進でもぞもぞと動くので目が離せない。
先日、ついうっかり目を離した隙に「ゴトン!」


うわっ、落ちた!


当然大泣きする息子。
後頭部にたんこぶが出来ている。
妻があやしてなんとか泣きやんだ。
最近の日本なら「すぐ病院へ!」とか大騒ぎするところかも知れないが、すぐ泣
き出したのと、たんこぶができたぐらいなので、しばらく様子をみることにした。
特に異常はないようだ。食欲も普通だし、排泄も普通。
翌日にはたんこぶの腫れもひいた。なかなかたくましい息子である。


一度落ちたから怖がってベッドの縁に近づかないかと思いきや、そうでもない。
最近はベッドの縁で待ちかまえて、床に落ちる前に受け止める。
「ホラッ、危ないでしょ!」
と言いきかすのだが、本人は知らん顔である。
そのうちヒモか何かでつないでおかないとダメかもしれない・・・。


やはり早く拾い部屋(&じゅうたん)へ引っ越す必要があるな・・・。

2008年1月5日土曜日

flickrを使ってみた

一時期、ブログに写真を貼り付けていたこともあったが、面倒なのでやめていた。
現在は同じ文章を複数のブログに投稿しているため、更に面倒である。
そこで写真だけでも一箇所にまとめられないかと調べてみたところ、写真共有サ
イトなるサービスがあるらしい。
一応「老舗」ということで「flickr」を使ってみることにした。


犯行現場
http://www.flickr.com/photos/22492666@N03/2168269498/
右手に写っているのが犯人である。
一瞬の油断が命取りという良い教訓である。


そこまでやらんでも・・・
http://www.flickr.com/photos/22492666@N03/2167477501/
飛び降り自殺?
と思いきや、掃除だった。
ちなみにマンションの12階である。

2008年1月4日金曜日

本日はバックアップの日

Cドライブの残り容量が3GBと表示されていた。
明日からの仕事を控え、このままでは非常によろしくない。
なので、データのバックアップをすることを決定。


通常なら外付けのハードディスクドライブ(250GB)にデータを移動して終わりな
のだが、外付けドライブ自体もほぼ満タン。空きは500MBを切っている。
というわけで、まずは外付けハードディスクのデータをDVD-Rへバックアップす
ることにした。
DVD-Rの容量は4.7GB。実際は4.5GBぐらいと思ったほうがいい。
一枚書き込むのにベリファイを含めて約30分。作業中はPCにはいっさい触れない。
結局7枚合計30GB以上のバックアップを終了。


この後、ノートPC本体のハードディスクから外付けハードディスクへデータを移
す。
データはこの間のコマーシャルの映像データや音声データ。
順調にデータの移動が進んでいたのだが、最後にどうしても移動できないデータ
があった。
MOVE(移動)だからダメなのかと思い、まずはコピーをしてみようとマウス右クリ
ックで「コピー」→「貼り付け」操作をしてみた。「コピー先のディスクの空き
容量が足りません」みたいなメッセージが表示される。


20GB以上空いているのだ、そんなバカな話があるか!


何度操作してみても結果は同じ。
もしや、ウイルスか?


Googleでいろいろ検索した結果、ウイルスではなくファイルシステムの問題だっ
た。
Windows XPでは通常「NTFS」というファイルシステムを使っている。ハードディ
スク上のファイルを管理する方式の名称だ。ところが、Windows MeやWindows98
などの古いWindowsではFAT32というファイルシステムを使っている。
外付けのハードディスクは通常古いWindowsでも使えるようにFAT32で初期化され
出荷されている。
WindowsXPでもFAT32は利用できるのだが、FAT32では4GB以上の巨大ファイルを
取り扱えないという欠点がある。
今回コピーしようとしたのは9GBの映像ファイルだった。コピー先の外付けハー
ドディスクがFAT32だったため、コピーが中断されていたのだ。


GB(ギガバイト)単位のファイルが当たり前のように扱われる現在。10年前の
Windowsでは対応できない。
なんともすごい時代になったものだ。
私が大学4年の頃、初めて40MBのハードディスクを買ってきた時、その大容量に
感激したものだったが・・・。
デジタル一眼レフカメラのコンパクトフラッシュ(CF)カードは1GBと2GBのものを
使い分けているが、一回の取材で1GBを使い切ることもある。(後で写真の整理
が大変だが)
USBメモリーも1GBでは雑誌の仕事には使えない。
記事数ページ分のデータは数GBある。持ち運び用のハードディスク(移動硬板)は
必須だ。
日本にいた頃は気軽にハードディスクを買っていたが、中国では当時にはほど遠
い収入なので気軽には買えない。
今度日本に行った時は実家に置いてある大量のハードディスクをなんとか持って
きたいと画策しているのだが・・・。
いや、やはりTB(テラバイト)級のハードディスクを買ったほうが省スペースで手
っ取り早いと思われ・・・。


その前に家買ってよ、と妻から嫌みを言われそうな今日この頃・・・。

2008年1月1日火曜日

2008年新春の一言(全然一言じゃないけど)

今日は正月なので妻が好きなモノ食べていいよ、と言う。
餅が食いたかったのだが、マイカルで買ってきてもオーブンが無いので焼けない。
となると外食だが、本格的な和食料理屋は何気に遠い処にある。第一外は寒いの
で遠出はしたくない。
なので、結局「ぎょうざの王将」で食べることにした。
三人で行こうと誘ったのだが、外が寒いから子供はダメ。で、結局私一人で行く
ことに。


店内は日本人らしき客は見あたらない。
正月だし、皆さん日本へ帰っているんだろう。
年末年始特別サービスでアサヒビールが半額と書いてある。
料理を注文した後、そのアサヒを頼んだのだが無いと言う。うーむ、なんだか
なー。
ま、いいや。北京ビールを注文。


小説を読みながら食事。行儀がよろしくないことこの上ない。
でもこのスタイルのほうがゆっくりよくかんで食べるから消化には良いのだ。


食べ終わったところで家で晩酌するのに何かつまみが欲しくなった。
あ、そういえば妻にも何かお土産買ってかないとな・・・。
ということで近所のKFCでフライドチキンを買う。


未だにちゃんと商品名を言えない。
「原味的鶏肉」とか言ってメニューの写真を指している。
日本なら「オリジナル・チキン」と言うところだ。
あとはフライドポテトだが、これも「土豆」ぐらいしか言えない。「油で揚げた
土豆」と言えばたぶん完璧なんだろうが、わからん。
妻に尋ねたら「シューティアオ」とか言ってた。今度はがんばって言ってみよう。


妻が隣でチキンを食べている。結婚した時から一度食べてみたいと言っていた
KFCのチキンだ。
妊娠しているときは結局食べなかった。妻は吉林省の出で、農村部の平均収入は
大連のそれに比べてかなり低い。まじめに働いても月給500〜600元である。
KFCのチキンは一個7.5元。3つも食べたら軽く20元は超える。
前にも書いたかも知れないが、大連の庶民の感覚では1元=100円ぐらい。吉林
省の農村部になると1元=300円ぐらいの感覚である。20元のKFCのチキンは
6000円ぐらいの感覚なのだ。いかに高価な食べ物かご理解いただけるだろうか。


大連に住み慣れた今でこそ20元は大連感覚の20元だが、それでも2000円ぐらい。
ちょっと贅沢な食事には違いない。
KFCやマクドナルドは日本では今でこそ学生が気軽に食べるファーストフードに
なったが、オープンした当初は家族でちょっと贅沢をするためのお店だった。子
供の頃、親に連れられて初めて食べたときのおいしさとその感動は今ではもう忘
れかけていた。
しかし、「とっても美味しい」と言いながら食べている妻を見て、日本人ってい
つのまにか豊かになって、それが当たり前になってたんだなぁと思わずにはいら
れなかった。豊かになることは悪いことではないのだが、それが日常になってし
まうと、豊かであることのありがたさとか感動とかを忘れてしまいがちになる。


中国は成功と発展途上が同居している国だ。
私はほとんどゼロから中国で再出発している。
ブログをご覧になればお分かりのように、日本ではもとより中国に来てからもく
じけそうになったことは何度もあった。
家族や周りの人に支えられてここまでなんとか来られた。(皆さんありがとう)
日本ではおそらく結婚もましてや子供を持つことも難しかっただろう。
でも中国に来て文字通りの「幸せな家庭」を持つことができた。
2008年を迎えるにあたり、関係者の方々にこの場を借りて感謝いたします。


お父さん、お母さん、ありがとう。
社長、いつもありがとうございます。
中国のことをいろいろ教えてくれるお友達の皆様、ありがとう。
妻と子供に、幸せな家庭をありがとう。
最後に、私に生きる希望とチャンスを与えてくれた中国に、多謝。


<追記>
妻が食事している間、私は子供をあやしている。最近「あー、あー」とやかまし
い。
妻が食べ終わったホネを子供の手に握らせると、子供はそれをしゃぶる。
しゃぶっている間は静かである。なるほど、これは良い方法だ。
要は何かしゃぶらせておけばいいわけだ。他にも応用できそうである。