2007年11月4日日曜日

デジカメ、お帰り

先日のイベントの際、デジカメが壊れた。
壊れ方が以前使っていたCASIOのデジカメと一緒。
液晶画面が真っ暗になって、何を撮影しても真っ暗なまま。
ネットで調べてみると光学センサが逝ってしまったっぽい。
CCDとかCMOSなどと呼ばれるモノで、デジカメの心臓部とも言える重要部品であ
る。


CASIOのデジカメは買ってもう3〜4年。300万画素という旧製品だ。
流行のデジカメとは違い、普通のスチルカメラのような大きさ。
私は、このいかにも「カメラ」という「ごつさ」が好きだった。だから修理しよ
うと電子城に持ち込んだが、500元以上かかるらしい。
案の定、妻から止められた。
当時はまだ子供が妻のお腹の中にいる頃。生まれてくる子供を撮りたいというの
は自然な発想なわけで、じゃあ、生まれる前に新しいのを買おうということでそ
の時は決着した。
その後、母親と国際電話で「お腹の様子はどぉ?」なんて会話をしているときに、
「出産祝いをくれる」という話になり、「何が欲しい?」と訊かれたので「デジ
カメ」と言ったら、EMSで送ってくれた。お母さんありがとう。


以上は昨年の12月の話。で、今回壊れたデジカメというのが、その時母が送って
くれたCanonのデジカメ。
買って一年以内なので保証が利くのだが、それは日本国内での話。Canonのお店
へ持ち込んだところ、修理に420元かかると言う。
新品で同じのを買うと1500元するから、今回は妻も同意。


デジカメと言えば私が初めて目にしたのはSonyのマビカというやつ。

http://dc.watch.impress.co.jp/cda/other/2007/10/22/7255.html

1981年、フロッピーディスクに記録できるカメラとして新聞で大きく取り上げら
れていた。
ロサンゼルス五輪で使われ、新聞にもその画像が載った。
記録サイズは640×480ピクセル。当時のパソコンの画面サイズである。
厳密にはこの初期型のマビカはデジカメとは言わないらしい。
映像をアナログ方式で記録していたからだ。だからデジカメではなく電子スチル
カメラと言う。


世界初のデジカメとされているのが1988年に発売された富士フイルムのDS-1P。

http://dc.watch.impress.co.jp/cda/parts/image_for_link/114682-7255-3-1.html

40万画素。メモリーカードに画像を記録する。
おそらくパソコンで編集できたのだろうが、当時はまだMS-DOS全盛の時代。たぶ
ん専用ソフトだったのだろうと思われる。
まさか撮って保存して終わり・・・?


修理に出してから一週間後、デジカメが直って戻ってきた。
(正確には、私が市内のCanonのお店まで取りに行ったのだが)
今や主流は800万画素を超える機種が主流・・・。ウチのデジカメは700万画素。
これでも仕事で使うには十分すぎるクオリティだ。
デジカメは画素数や画質がとやかく言われるが、500万画素を超えたあたりから
は、ほとんど撮影後の加工処理がものを言う。
多少暗かったり、色が変でもPhotoshopで処理すれば好看な写真に変身。
印刷の仕事柄、いろいろなデザイナーの写真加工のやり方を見ているので自分で
加工するのもお手の物。
以前、テレビ番組やCM作りの仕事をしていたから、コマ割りの感覚をそのまま写
真にも転用。
テレビの画素数は写真より粗いし、表示できる色の範囲も狭い。
そういう制限の中でキレイに見せるテクニックは印刷物でも通用するんだなと実
感した次第。


母からもらった中古の一眼レフデジカメがあるのだが、重くてかさばるのであま
り出番が無い。
たまに広告の撮影で使ったりするが、あくまでも「見せカメ」。
実際に使うのは700万画素の小型デジカメ。
母も同じようなこと言ってたな。一眼レフはますますマニアのカメラになってい
く。
今度、休みの時に一眼レフで何か撮ってこようかな・・・。

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